遠慮からの卒業

自分らしさを置いてけぼりにして、自分の本音は二の次、三の次にして、遠慮ばかりの人生から、いかに卒業してゆくか~? そんなヒントになればいいな、というblogです。

本当の自分のこころは、どこにあるの?

基本、何物にも縛られず、どこにも所属しないのが信条です。

 

地球上で生きている都合上、「〇〇をやっている七緒美琉生」と表現せざるを得ない場面があるのですが、「七緒美琉生そのもの」でありたいと常々思っています。

 

しかしながら、いつも自由であることを心地よいと知っていながらも、いつの間にか?望まない何かに❝がんじがらめ❞になっていることに気づくことがあります。

 

なんだか気持ち悪い。

なんだか窮屈。

あれ?なんだか違う。

 

そう感じる時は、まだマシで

時に、自分のこころが迷子になっている事態に陥っていることがあります。

 

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「本当の自分のこころは、どこにあるの?」

 

聞いてあげないと、見失ってしまっていることがあるのですね。

 

いつの間にか 自分の意志とは関係ないものに 巻き込まれている。

いつの間にか 誰かの人生を生きている。

いつの間にか 誰かの期待を背負っている。

人生の大半をそうして生きてきた気がします。

人生の大半を、どこか居心地の悪さとともに過ごしてきました。

 

誰かが喜ぶことをする。

誰かに「すごいね!」と言われる人になる。

誰かの役に立つことが自分の存在意義である。

 

だから、「役に立たない自分には価値がない。」というようにいつの間にか、変換されて、「価値ある自分」になることが、人生の目的にすり替わってしまっていたんです。

 

では、「価値ある自分」って、なんなのでしょう。

その「存在価値」って、誰が決めたものなんでしょう。

誰が私に、それを求めたのでしょう。

 

 

 

子どもの頃から、実は今でも、どこか常に不安です。

自信がない。

自ら行動できない。

自分の意見が言えない。

そもそも意見が思いつかない。

意見を求められると、頭が真っ白になる。

もうずいぶん大人になりましたが、本当は今でもそうなのです。

 

だからこそ、「今」

本当の自分のこころに、ちゃんと向き合っていこうと思うのです。

 

私のこころは、どこにある?

私は本当は、どう感じている?

 

しかしながら、長年の癖とは手ごわいものです。

 

体裁を繕って、当たり障りのない感じで、表面だけをさらっと拾って、感じないふりを良しとしようとしてしまうんです。

 

本当のこころを置き去りにし続けてくると、こんな風に不感症になってしまうのですね。

 

かっこ悪い さえない自分だと、相手にされないんじゃないか?

 

この期に及んでも、まだそんなことに怯えている自分が居ます。

 

小手先だけで誤魔化しても、もうどうにもならないことを知っているのにも関わらず、まだまだこんな遠回りで逃避しようとしているのです。

 

でも、もう諦めない。

ちゃんと光をあてて、見つめてゆくと決めたのです。

瞬間瞬間、見つめていこうと決めています。