遠慮からの卒業

自分らしさを置いてけぼりにして、自分の本音は二の次、三の次にして、遠慮ばかりの人生から、いかに卒業してゆくか~? そんなヒントになればいいな、というblogです。

自作自演のテロリストをやらかしてきた

もちろん、誰でもそうなのだろうけど、大概のことは自分で決め、自分で手配して、自分でやりくりして、自分でやり遂げます。

 

「頼ってはいけない」

「甘えてはいけない」

「大人なんだから…」

 

だから、自分でできそうな範囲以外へ出ることなど、ほぼあり得ません。

自分でほぼ自己完結させてこその、大人だと信じてきたから…。

 

冒険なんて、とんでもない。

自分で自分の面倒を見ることができる範囲じゃなければ、困るんです。

 

感情もそうです。

 

友人関係であっても、あんまり相談するということをしてきませんでした。

むしろ相談に乗る方で、話を聴く役割。

 

先日、久しぶりに誘いの連絡をとった友人からは、

「そんなこと(私の誘い)よりも、私の近況を聴いて~~~!」っていう返信メールの文章。

「あれ?なんか変だよね。」「なんか、寂しいよね。」と感じたところです。

 

やっと、そんな風に意識できるようになったのかと思います。

 やっと、「なんだよ!相変わらず、自分のことばっかりかよ!」「おまえの近況なんて興味ないよ!!」って、正直に腹を立てることができるようになったというのか。

 

振り返ってみれば、友達と会っていても 自分のことはほとんど話してこなかったのではないだろうか?

聞かれれば答える、という構図が完成しているな、と改めて思うのです。

 

それが苦だったわけではありません。

 

「優しい人」

「なんでも受け止めてくれる人」

「頼りがいがある人」

 

 そんな風に評価されることが多くて、逆にそうすることが自分の存在意義だと、もう疑うこともしなくなっていたんですね。

 

 

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自分の本心を表現することは今も苦手な分野です。

 

何を感じているのか?

何を考えているのか?

何をどうしたいのか?

感じないようにするのが癖になっているんだと思うのです。

 

だから、ふいにわいてきた感情や想いがあっても、頭の中がまとまらず、当然口に出すこともできずにいて。

 

今にして思えば、相手の気持ち・感情には敏感な方で、分かりすぎてしまう性質なので、そちらに合わせようとするのも癖になっていたのかもしれません。

 

だから、本当の自分は出る幕がなかったという事態になっていったのかと思うのです。

 

いろんな感情が、自動的に身体中に貯金されて、消化不良。

 

肚の奥底に溜まって、溜まって、結果的にそれがある日、抑えきれなくなって、まったく予想していない場所から噴き出してしまう、という事態を何度もやらかしてきたというわけです。

 

出発点とは、まったく関係ないところで、自爆テロ

 

友人関係でも

職場でも

夫婦関係でも

 

これまで、数々の事件を起こしました。

 

周りはいい迷惑です。

「原因」と「結果」の因果関係が、まるで読めないのですから。

私の中の"一人芝居"なだけですから。

 

 

「なんだ。その時言ってくれたらよかったのに~。」なんて、お気楽に言われるのも嫌。

「はいはい、わかったよ。」なんて同情されるのも嫌。

 まったく、ややこしいことです。

 

それもこれも、私が私の本心をちゃんと感じて、表現してこなかったからに、ほかなりません。

 

自作自演のテロリストだったんです、私。

 

 

近年、自爆は卒業しまして、普通に夫におねだりができるようになりました。

「アイス買ってきて!」

「私の分は、高級な分にして!」

 

夫は"黄ぐま"

私は"ハーゲンダッツ"

これでも、すごい成長です。

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