遠慮からの卒業

自分らしさを置いてけぼりにして、自分の本音は二の次、三の次にして、遠慮ばかりの人生から、いかに卒業してゆくか~? そんなヒントになればいいな、というblogです。

空気を読んでちゃ、始まらないタイミング

先日、たまたま目にした歴史上の人物のテレビ番組で、「佐久間象山」という方を取り上げていました。

 

私にとっては、初めて耳にする名前でした。

ご存知の方、いらっしゃるだろうか…?

 

佐久間象山さん…

1811-1864 江戸時代後期の武士,思想家。
文化8年2月28日生まれ。妻は勝海舟の妹。信濃(しなの)(長野県)松代(まつしろ)藩士。江戸で佐藤一斎にまなび,神田で塾をひらく。天保(てんぽう)13年老中真田幸貫(ゆきつら)に「海防八策」を提出。江川英竜(ひでたつ)に西洋砲術をまなび,勝海舟らにおしえた。嘉永(かえい)7年吉田松陰の密航事件に連座。のち公武合体,開国を説き,元治(げんじ)元年7月11日京都で尊攘(そんじょう)派に暗殺された。54歳。名は啓(ひらき),大星。字(あざな)は子明。通称は修理(しゅり)。号は「ぞうざん」ともよむ。著作に「省諐録(せいけんろく)」など。    (コトバンクより引用)

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かなりの自信家で、こだわりが強い方、だという印象。

 

幕末の時代、外国のことを知らねば、という思いから、当時はかなり高価だったオランダの書物を堂々と藩に訴えて購入してもらったエピソードでは、「まったく空気を読まない人物。」と、口々にコメントされていました。

 

取り寄せさせた書物オランダ語を学ぶところから始まり、2年ほどでオランダ語を修得し、オランダの自然科学書、医書、兵書などから知識を吸収し、活かしたのだそうです。

 

それは、単なる個人的な好奇心に留まらない、もっと日本の先を見据えた志からの行動だったのだろうと、そのテレビ番組から感じたのでした。

 

周りの空気や、これまでの常識など気にしていては、大きな変革はなしえない。

 

もちろん、誰もが大きなことをしなくてはならないわけではない。

しかしながら自分の人生にも、大きなターニングポイントはあるでしょう?

 

その時に、周りの空気だけを読んでいて、答えは見つかるのだろうか?

外に答えを探しても、本当に見つかるのだろうか?

自分だけの人生の指針や決定権を、誰かに明け渡してもいいのだろうか?

 

 

外界の常識とか、誰かの意見とか気持ちなどは、常に移ろいやすいものです。

瞬間瞬間に、実はすべてが変化しています。

 

空気を読んだつもりが、読みすぎてかえって真実が見えなくなってしまうこともよくあること、です。

判断基準になっている空気自体が移り変わりのですから…。

いったい何が真実なのか?

いったい何を信じればいいのか?

分からなくなって、疲れ果ててしまうのです。

そんな経験を、実は何度も繰り返してきました。

 

 

本当のことは、実はシンプルなのではないだろうか。

 

 

空気が読める、空気を敏感に察知することができるのは、素晴らしいことです。

特に日本人は、空気を読んで察する能力が最も高いと言われているように、それは素晴らしいことだと誇りに思うべきです。

 

今や外国人が、日本人のおもてなしを学ぼうとしている時代でもあるのですから…。

 

空気を読む力は素晴らしいのだと理解したうえで、同時に自分の気持ちを最優先にする自由をちゃんと自分に許したいのです。

 

空気を読んでばかりじゃ、始まらない。

空気を読んでばかりじゃ、本当にしたいことはできない。

「本当にしたいこと」とは、「本当の本当に」であって、「そこそこ したいこと」ではないのです。

 

妥協や謙遜という余計なフィルターは取り除いた、とってもシンプルで純粋な思いを第一に優先してもいい、ということを自分に許可することから始めたい、と思うんです。

 

それは本当の自分に正直になること。

それは時には、空気を読まないこと。

 

そんなタイミングが、誰にもあるのです。

 

 

本当に読まなきゃならないのは、「空気」でしょうか?

本当に読むべきは、「空気」じゃなく「自分の本当のこころ」なんじゃないかな。

 

本当の自分のこころは、どこにあるの?

基本、何物にも縛られず、どこにも所属しないのが信条です。

 

地球上で生きている都合上、「〇〇をやっている七緒美琉生」と表現せざるを得ない場面があるのですが、「七緒美琉生そのもの」でありたいと常々思っています。

 

しかしながら、いつも自由であることを心地よいと知っていながらも、いつの間にか?望まない何かに❝がんじがらめ❞になっていることに気づくことがあります。

 

なんだか気持ち悪い。

なんだか窮屈。

あれ?なんだか違う。

 

そう感じる時は、まだマシで

時に、自分のこころが迷子になっている事態に陥っていることがあります。

 

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「本当の自分のこころは、どこにあるの?」

 

聞いてあげないと、見失ってしまっていることがあるのですね。

 

いつの間にか 自分の意志とは関係ないものに 巻き込まれている。

いつの間にか 誰かの人生を生きている。

いつの間にか 誰かの期待を背負っている。

人生の大半をそうして生きてきた気がします。

人生の大半を、どこか居心地の悪さとともに過ごしてきました。

 

誰かが喜ぶことをする。

誰かに「すごいね!」と言われる人になる。

誰かの役に立つことが自分の存在意義である。

 

だから、「役に立たない自分には価値がない。」というようにいつの間にか、変換されて、「価値ある自分」になることが、人生の目的にすり替わってしまっていたんです。

 

では、「価値ある自分」って、なんなのでしょう。

その「存在価値」って、誰が決めたものなんでしょう。

誰が私に、それを求めたのでしょう。

 

 

 

子どもの頃から、実は今でも、どこか常に不安です。

自信がない。

自ら行動できない。

自分の意見が言えない。

そもそも意見が思いつかない。

意見を求められると、頭が真っ白になる。

もうずいぶん大人になりましたが、本当は今でもそうなのです。

 

だからこそ、「今」

本当の自分のこころに、ちゃんと向き合っていこうと思うのです。

 

私のこころは、どこにある?

私は本当は、どう感じている?

 

しかしながら、長年の癖とは手ごわいものです。

 

体裁を繕って、当たり障りのない感じで、表面だけをさらっと拾って、感じないふりを良しとしようとしてしまうんです。

 

本当のこころを置き去りにし続けてくると、こんな風に不感症になってしまうのですね。

 

かっこ悪い さえない自分だと、相手にされないんじゃないか?

 

この期に及んでも、まだそんなことに怯えている自分が居ます。

 

小手先だけで誤魔化しても、もうどうにもならないことを知っているのにも関わらず、まだまだこんな遠回りで逃避しようとしているのです。

 

でも、もう諦めない。

ちゃんと光をあてて、見つめてゆくと決めたのです。

瞬間瞬間、見つめていこうと決めています。

自作自演のテロリストをやらかしてきた

もちろん、誰でもそうなのだろうけど、大概のことは自分で決め、自分で手配して、自分でやりくりして、自分でやり遂げます。

 

「頼ってはいけない」

「甘えてはいけない」

「大人なんだから…」

 

だから、自分でできそうな範囲以外へ出ることなど、ほぼあり得ません。

自分でほぼ自己完結させてこその、大人だと信じてきたから…。

 

冒険なんて、とんでもない。

自分で自分の面倒を見ることができる範囲じゃなければ、困るんです。

 

感情もそうです。

 

友人関係であっても、あんまり相談するということをしてきませんでした。

むしろ相談に乗る方で、話を聴く役割。

 

先日、久しぶりに誘いの連絡をとった友人からは、

「そんなこと(私の誘い)よりも、私の近況を聴いて~~~!」っていう返信メールの文章。

「あれ?なんか変だよね。」「なんか、寂しいよね。」と感じたところです。

 

やっと、そんな風に意識できるようになったのかと思います。

 やっと、「なんだよ!相変わらず、自分のことばっかりかよ!」「おまえの近況なんて興味ないよ!!」って、正直に腹を立てることができるようになったというのか。

 

振り返ってみれば、友達と会っていても 自分のことはほとんど話してこなかったのではないだろうか?

聞かれれば答える、という構図が完成しているな、と改めて思うのです。

 

それが苦だったわけではありません。

 

「優しい人」

「なんでも受け止めてくれる人」

「頼りがいがある人」

 

 そんな風に評価されることが多くて、逆にそうすることが自分の存在意義だと、もう疑うこともしなくなっていたんですね。

 

 

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自分の本心を表現することは今も苦手な分野です。

 

何を感じているのか?

何を考えているのか?

何をどうしたいのか?

感じないようにするのが癖になっているんだと思うのです。

 

だから、ふいにわいてきた感情や想いがあっても、頭の中がまとまらず、当然口に出すこともできずにいて。

 

今にして思えば、相手の気持ち・感情には敏感な方で、分かりすぎてしまう性質なので、そちらに合わせようとするのも癖になっていたのかもしれません。

 

だから、本当の自分は出る幕がなかったという事態になっていったのかと思うのです。

 

いろんな感情が、自動的に身体中に貯金されて、消化不良。

 

肚の奥底に溜まって、溜まって、結果的にそれがある日、抑えきれなくなって、まったく予想していない場所から噴き出してしまう、という事態を何度もやらかしてきたというわけです。

 

出発点とは、まったく関係ないところで、自爆テロ

 

友人関係でも

職場でも

夫婦関係でも

 

これまで、数々の事件を起こしました。

 

周りはいい迷惑です。

「原因」と「結果」の因果関係が、まるで読めないのですから。

私の中の"一人芝居"なだけですから。

 

 

「なんだ。その時言ってくれたらよかったのに~。」なんて、お気楽に言われるのも嫌。

「はいはい、わかったよ。」なんて同情されるのも嫌。

 まったく、ややこしいことです。

 

それもこれも、私が私の本心をちゃんと感じて、表現してこなかったからに、ほかなりません。

 

自作自演のテロリストだったんです、私。

 

 

近年、自爆は卒業しまして、普通に夫におねだりができるようになりました。

「アイス買ってきて!」

「私の分は、高級な分にして!」

 

夫は"黄ぐま"

私は"ハーゲンダッツ"

これでも、すごい成長です。

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駅の階段で…

東京に仕事で来ています。

三泊四日なので、大き目のキャリーケースを持参しました。

 

ホテルに向かう夕刻、山手線の電車に乗ったのが、ちょうどラッシュの時間帯にぶつかります。

 

品川駅で降りましたが、エスカレーターのある場所まで辿り着くのが難しいほどの 混み具合なのは、致し方ないのです。

もみくちゃになりながらも駅の階段を上っていると、ひょいっとキャリーケースが軽くなりました。

隣で階段を上っていた サラリーマン風の恐らく同年代の男性が 「持ちましょう」と、抱えてくださっていたのです。

「いえ、重いんで、大丈夫です」と言うも、「あなたは、ここを持って」と。

結局上まで、助けていただいたのです。

 

重そうだから持ってくれたのに、「重いから持ってくれなくていいです。」って、断ろうとしたりして、滑稽な話じゃありませんか。

 

あ、助けてもらってもいいんだ。

なんで、持ってもらう訳にはいかないって、反射的に思ったんだろう。

 

 実は、荷物を持ってもらえる 甘え上手な か弱そうな女の人って、本当はどこかで羨ましかったのです。

だけど、私はいつもこんな場面では荷物を持ってもらえない役割だったから、「なにさ!自分の荷物ぐらい自分で持てば?」って、内心イラッとしている。

なのに、人の荷物は持ってあげなきゃ、とイイ人ぶってきたのです。

 

品川駅の階段の、下から五段目から上までの間に、そんなことを ぐるぐるぐるぐる考えていたのでした。

 

階段の上に到着したとき、遠慮しないで心から 「ありがとう」を言えた自分がちょっと嬉しかったのです。

そして、途中から観念して荷物を預けた私の心の内を知ってか知らずか、その男性の笑顔は「ほら、任せてよかったでしょ?大丈夫だったでしょ?」って、言っておられるようで、お礼を言って別れた後に、品川駅の構内で、スキップしたい気分になりました。


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本当は、こうしてこれまでも「大丈夫?持とうか?」と手をさしのばしてもらってたのかもしれない。

「いえ、大丈夫です。」って、反射的に言ってたのかもしれない。

さらには声もかけにくいほど、バリアを張っていたかもしれない。

どうせ助けてもらえないでしょう?って、勝手に拗ねていただけかもしれない。

 

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私、しっかりものだと言われます。

 

でも実はそんなに、というより 全くしっかりはしてはいないんです。しっかりしていると言われれば、言われるほど、もっともっと しっかりしなくちゃならなくなるのです。

 

だから甘えるのも、当然苦手なのです。

というか、「甘える」という選択肢を 勝手にどこかにしまっていたかもしれません。

勝手に、ですけどね。

 

「お姉ちゃんなのに!」

「もう、○歳なのに!」

「ちゃんと しなさい!」

そんな風に言われる事が多い、どちらかと言うと 不器用な子ども時代でした。

 

だけど、どう頑張ったらいいのか?

どういう完成形を求められているのか?

オロオロするばかりで、頑張れば頑張るほど、おかしな事になって、「ちゃんと できない ダメな ちょっと可哀想な子」という 結末だったんですね。

 

母親が私を表現する言葉は、「依頼心が強い子」「消極的ではっきりしない」

母親が望むような、ハキハキした自立心の強い しっかりした子どもには、なかなか なれなかったのです。

 

誰にも頼らず、弱音を吐かず、自分ひとりで 頑張るのが当たり前。 

自分のことは、最後まで自分でやるのが当たり前で、誰かに甘えるなんて ダメな人。

そんなダメ人間に成り下がってはいけない。

頑張らないと、認めてもらえない。

ちゃんとできないと、見放される。

いつも そんな強迫観念にも似た思いが、心のどこかにあった…いえ、実は今もそんな観念が 執念深く居座っていることに 気づくのです。

 

大人になるつれて、「怖い」ながらも色んなことがことを自分でできるようには、なってきたものの、本当の自分は 弱虫のまま…。

 

もっと遠慮しないで甘えてもいい。

もっと弱い自分を出してもいい。

もっと本当のダサい自分で生きていい。

 

心が叫びたがっているのです。

でも、そうするのは、私には心底怖いことなのです。

遠慮しないで生きる!と決める

遠慮しないで生きると決めたの

はじめまして。

七緒 美琉生(ななお みるき)と申します。

山口県在住の主婦歴26年。

・保育士・社会福祉士経験それぞれ17年。

数秘術カウンセラー、アロマセラピスト・講師。

・ガイアの水135浄水器の統括代理店。

・開運ツアー、お茶会、癒しイベントの企画や運営実績あり。

山口県の自宅サロン・東京恵比寿にサロンの他、全国で講習実績あり。

・神社仏閣での奉納舞、パワースポット巡り。

・趣味は放浪。

 

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これまでの人生の中で、体験したこと、感じてきたこと から、

 「本当に自分の人生を生きられているのだろうか?」

「自分の人生の主導権を誰かに明け渡していないだろうか?」

 そんな想いがふつふつとわいてきて…。

ある時を境に大きく人生のベクトルを変えて「今」に至っています。

 

もう、謙遜や遠慮はしないで生きる!

そう決めたのです。

 

なぜそうなったのか?

なんでそんな風に決断したのか?
そこらあたりのお話も、おいおい書いていけたらと思っています。

 

 

 かつての私のように、

人一倍 気を遣い

人一倍 場の空気を読み

人一倍 いい人をやってしまう

なのに、なんだか報われない

一人になった時に「わたしって何やってんだか(苦笑)」って虚しくなる

 

誰かために役立ちたい

誰かの幸せを応援したい

誰かの笑顔が私の幸せ

 

だけど・・・

私だって、もっと自由に、幸せになっていいはずだ!と、感じている あなた。

 

長年やり慣れてきた “遠慮”の癖 を一緒に外していきませんか?

 

誰の目も気にせず、あなたが本来持っている可能性や能力を思う存分発揮することを邪魔している “遠慮” っていう癖を、少しずつ忘れていきませんか? 

 

せっかく生まれてきたんだもん。

人生を味わい尽くしましょう。

 

わたしは、そうするって決めました。

 

そんな、ななおみるきのブログです。

これから、どうぞよろしくお願いします。